[心と身体、人と私、癒しと石]

鬱・更年期障害・モロモロ、ズッコケ記録 これからは お返しの生き方をして、受け入れるライフlessonも。更年期、鬱、パニック、関節炎、掌蹠膿疱、不眠、めまい、胃腸激痛等々。 たまには、駄洒落なども。

空人kuujin

元特攻隊員 清宮 零さんの 同名小説

(空人)の映画化。

甥である 清宮 武雄さんが

製作総指揮として出資。

2015年に製作。

2013年に 埼玉県桶川市

旧陸軍桶川飛行学校他にて 撮影された。





2016*04*03

友人と河原へと 桜のスケッチに行く途中

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昨年 息子から『桶川に陸軍飛行学校が

あったなんて。。知らなかった。

(空人)という映画の 撮影に

使われたんだって!』と聞いていた。

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約25年程 在住しているが

全く知らなかった。

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荒川の河川敷には ホンダエアポートが

あり、セスナ機の練習 パラグライダー

以前は 飛行船の離発着もあった。

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何故 この地に エアポートがあるのか?

不思議ではあったのです。

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市民の憩いの場 城山公園の付近とのこと。

それ以来 手書きの様な 小さな看板を

見つける事はあったが 誰も気がつかない

様なものでした。

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いつも通る道。

しかし、わからない。

たまたま、前日にGoogleで観たのでした。

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いつもの道路から 右にほんの少し入る。

農道の様な 細い道の先。

唯一現存する陸軍飛行学校。

昨年末迄は 解放されていたとの事。

現在は 老朽化による安全確保が出来ない

為に ロープが張られている。

市の文化財だが 保護の目処は

はっきりとは していないようです。

建物の左側は 屋根も壁も

寂しく朽ちていた。

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中には 貴重な資料、証言が遺されている

というのに。。

何とも言えない 残念さと

物悲しさを 感じつつ

この場を後にした。。



旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会



この日は 父の命日であった。

語り継ぐ事を 父に伝えられたかの

様な日であった。

病室で『桜が咲くのを

観られるのかなぁ?』と言っていた。

兄は 願いを叶えるために

一枝の桜を 折ってきた。。

出棺の日。

満開の桜が 父を

送ってくれた。。

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ひとやすみ😊

一休み 。。  

いっきゅうジャーないよ。

ひとやすみ  



何なのかしら?

5回位で 父の話しは 終わると思っていたのに まだ 1回しか書いていません。

余りにも 酷いので 皆さんの 気持ちが 悪くなってしまうと思い、

段々と 書いていくつもりだったんです。。




コメントで 教えて貰った事を 調べていると どれもこれも

記しておかなければという思いにかられてしまいました。




(そんな事は ネットで各自が 調べればいいことだし 情報はごまんとあるよ。)と、言われそうですよね。

重たい記事に コメントを 頂いて励まされました。

こう言うことに コメントするのは 神経を使うので 大変なのは

分かっていますから、カギを閉めようと思っていたのです。



触れることも良くないかな~とか。。。

コメントは 無理なさらなくって結構ですからね。

そして、ありがとうございます。



ネットも 全てが正確なものではありません。

出来事というのは 考え方や 立場に寄っても 見方が 変わりますよね。

デマを 流されることも沢山あります。

だからこそ、皆さんのお話しを 聞いて、多角的に見つめたいのです。

私の 書くことが 間違えかもしれません。 ( 何も 知らないのですから )



色々な方面から 見てくださいね。

判断するのは 自分自身なのです。

決めるのも 自分自信なのです。




私は 喋るのも 文章も大の苦手!!

作文が 憂鬱でした。

私が 伝えたい事を [ ひろぴーさん ] が 表現していました。






実は、実は そちらで 、、【凄い物が 発見】されたのです。。



    ひろぴーの「ブログって何」



いいのかな~

まずくない

んーんー。。。

私は しーらない。。。

。。。イヤ。。。これは 真実の物。。。

内容を 知りたい。。。

知らない方がいいのかも。。。




皆さん自分の判断で 行ってきてくださいね。。。






人間だけではない

捨て犬、猫他を 飼われているかたは

その仔達が 家に来るまで どんな状況にあったかを

考えた事が 何度もあると思います。



我が家では 先住犬、猫も 人間の都合で 捨てられた仔達です。。

そして、最近になり バタバタと 不思議な位に また、増えたのですが、

ガリガリで 数日 さ迷って、我が家へたどり着いた仔。

保健所に連絡される寸前で 保護した仔です。。



里親さんが 現れない限りは 餓死か ガス室送りでの死だったと思います。

自分達では望まない 人間の勝手な都合による死です。。



戦時中の(象の 花子ちゃん)の話しは有名です。




今回、こちらに訪問してくださっている方のブログで、

以前から存じあげていた方のブログが紹介されていました。

このカテゴリーを 書き始めて ご縁を頂いた事に 感謝いたします。




babaちゃま様が 皆さまの協力により 描かれた

実話動画です。



残り3分の1...人生


〔 バルデルあての赤い手紙 2015〕




私のブログで 仲良くして頂いている方々が、

そちらにも沢山いらしたので吃驚しました。




babaちゃま様

リンクさせて頂きまして ありがとうございました。






人間に飼育されていない 野生の動物達、植物。。。も、

空襲や原爆等によって、死んでいますよね。



その生き物達には 何の罪もありません。



お礼

前回記事 8月15日分に コメントを くださった方、

読んでくださった方に お礼を申し上げます。



ありがとうございました。




カテゴリーに (戦争)を 追加しました。

終戦記念日が 終わったから書かない、聞かないではなく

少しずつでも記録していきたいと思っています。




コメントは 少ないだろうと思っていましたが 考え以上に頂けました。



ご本人の 苦しかった体験、伝えられた記憶、思い。。。

感謝いたします。



実は 当時を 口に出さなかった方々が 多いのは

想像をしていましたが、更にその事を痛感しました。。。



悲惨な体験は 口にすることすら出来なくなるということ。

そして、背景には 口に出してはならない暗黙もあったと思います。

不平不満や 本心を 語れない時代であったことも 容易に察します。



(語らなかった)という コメントの重要さは 無言の抵抗の現れではなかったか、

これも 体験談として 意味のある 大切なものであると感じています。



語られなかった事実

語られた事実

どちらも 遺しておかなければならないと 痛感しました。



時代を 辿れば 富国強兵、大政奉還、それ以上前に 遡らなければなりません。



何百万の 個々の命の数だけ 話しはあります。

到底 それを ここで出来るわけはありません。



亡くなられた方、体験された方が 懸命に生きられた証、胸のうちを証す場として

また、些細ですが この場所から お一人にでも 伝わって、後世に残ればとの

身の程知らずの思いです。



語られなかった、知らなかったというコメントも 先程書いたように

大切な事です。

思い出したらいつでも、お寄せください。



思想を 討論する場所ではないことを お断りしておきます。



いつになるか わかりませんが、続ける事が出来たならば

大切な皆さまのコメントも HN、匿名さんも 公開させて頂くつもりです。

個々に連絡出来ないかもしれません。。

HNに 問題があるかたは 匿名希望の お知らせを 頂きたいと思います。





まだまだ、まとまりませんし、一生完結するはずはありません。


私が 続けられるかの 問題ですね。


出来る時にやるというのは 亡くなった方々にも失礼ですが


許して貰いたいと思います。






長々と 読んで頂きまして



ありがとうございました。








『。。。生き残った看護師の多くは あれから口を閉ざしました。。。』


追記8月17日

動画削除されました。
ニュースでの報道なので、そちらには残っていました。
貼り付けが分からないので 出来たら入れ換えします。

要約しておきます。

〔樺太で看護師集団自決〕
当時、樺太で看護師をしていた方の体験を ご本人が語った事です。

その方の手首には 今でも切った傷が残っています。
終戦の2日後、ソ連軍が来ました。
女性は 捕まると暴行されると 伝えられていたので、傷病者達は看護婦に逃げる様に言い、山へ逃げました。
捕まる位なら自決。
婦長が まず 自分の手首をメスで切ります。
婦長は大量に出血しながら、他の看護婦の手首を切ってあげるのです。
この体験者の方は、自分だけ生き残ってはならないと 紐で自分の首を2,3回絞めますが、助かりました。
終戦後2日の事です。
6人がなくなりました。






8月15日終戦記念日

S.59 ねずみ年、8月15日の午後 3050㌘

鉗子を使って娘が誕生日。

生きていたら 31才になる。

長男の時とは違って、母乳がたまると、1㍍先まで飛ぶほど、たっぷりとでた。




この日は 終戦記念日。

嫌な思い出のその日、両親は入院中の 私はそっちのけで、

夫と長男4才、両親とステーキを 食べに行ったのでした。

両親にしてみれば 8月15日が こんなに嬉しい日になったのは

初めての事だったのでしょう。






父の戦争体験を 書いていきたい。

その後は 夫の両親の内地での事も 。。



ブロガーさんにも 体験談を聞いている方は 少しの話しでも教えて下さい。

こちらに 記録として 残しておきたいので ご協力ください。



考え方は それぞれありますので、ここは 体験の記録場所にしたいと思います。



まだ、過去に聞いた話なので まとまりません。



この事を書いていくと決めた日に 父の2度目に行った

南洋の小さな島の メレヨン島を YouTubeには無いと

思いましたが検索しました。

2分41秒

『。。。圧倒的に やれやれという雰囲気だった。。。日本全体が 言えない雰囲気であった。。。』



サイパンや硫黄島の事は 激戦で知られていますが、メレヨン島は小さな島なので、

記録は無いであろうと思っていたら 2本の動画か存在していました。



最初は 満州出兵。

大連、黒竜江省の 地名を聞いたことがあります。

その後、メレヨン島へ。

グァム島を 見ながら船酔いして行ったのです。



順番は違いますが、YouTubeがあったことで、場所等が分かりやすいためです。

今回は それを 貼ることにします。


風化させたくない考えの方に 観ておいていただきたいと思います。


父は 陸軍でした。


この時期、特攻隊が取り上げられることが多いですが、、。


どこも 悲惨なのです。


餓えとの戦いでした。


まとまったら公開します。




コメント、無理には結構ですからね。

辛くなる時期

10年前より 私には辛くなる日が 1年に何度か訪れます。

娘の事です。

21才の若さで 突然の病で 最期を 誰にも看取られないままに逝ってしまった。

カワイイ子だった。

本当に 可愛くて仕方なかった。



お盆が近づくと 毎年、仏事もあるが、気が沈む。

誕生日は 終戦の日。

命日は 12月。

1月のお正月には お坊さんが 年始回りに来る。

春の彼岸。

秋の彼岸

お祭りが大好きだった娘。

お囃子の練習の笛、太鼓が聞こえる時期になると

娘に浴衣を 着せて送り出したのを思い出す。

私にはお祭りの 喧騒も 辛いものなのです。

いまだに 屋台を準備している道を 車で通りすぎるだけなのに

涙が溢れる。



明日は お盆の用意をする。

今年は 身体が 楽なので 辛さも幾分は楽だけれど、

テレビの上に 置いた写真に 語りかけているが、

その瞬間には 涙が滲む。




こうして、10年かかって たまに 娘の事を 書けるようにはなってはきた。

しかし、思いで話しはまだ、先になりそうです。



予定日どおりに ピッタリに生まれてきた。

なんてイイ子なのだろうと思ったものです。



母は予定日を聞いたときに、一瞬曇った顔をしたのです。

お盆中で、終戦の日と言った。



母は言った。

『終戦の日、皆が悲しんだ日だ、これからの日本はどうなるのか。。』と、

国民が不安になった日でもある。

反面、これで戦争が終ったとも思ったろう。



私は かけがえのない娘を 失った。

人間に 定められた寿命が あるのならば 娘は21才で全てを全うしたのかもしれない。

そう思わなければ、どうにもならない気持ち。

それでも、どうにもならないのだが。。



どうであろう 。。

戦争の時に 息子たちが 出兵して 待っても待っても戻って来なければ。

勝つこと、お国のためという 風潮の中で 送り出す気持ち。

そして、激戦、玉砕等と 聞く気持ち。



私は 父から聞いていた話しを 僅かだが、

断片的に記憶している。



戦争は 遠い昔の話の様に聞いていたが、

私が生まれたのは 父が復員してから、僅か10年ちょっとなのです。

この年になると 10年なんて あっという間の短さだ。。

団塊の世代ではないが、それほど変わらないのだ。



私が生まれる たった10年と少し前には 父は大変な思いをしていたのだ。

そして、息子達を失った家族。。。

その母達は お国のためと言いながら、どれ程悲しかったことだろうか。



一人の子を 病で失った事でさえ、いまだに 体調、精神まで崩れてしまったのに。



娘は 私に残してくれたことは 命の大切さだ。




私は 伝えなければならない。

体験者が 少なくなってきているのだから、

知っている僅かな事でも。。




このような考えで、終戦記念日だからと 言うわけではないが、

伝えるときが 来たように思えるのです。



暫く 重たくなる記事を 書くことがあるかもしれません。


ですから、コメントを閉じるときもあるかもしれません。

無理にコメントを 頂かなくても結構です。

そして、これは 事実を書きますので、

誹謗のコメントは 私の 病状に影響するので

お断りしておきます。

よろしくお願いします。

知恵

長崎、広島。。
黙祷のサイレン。
テレビでは 戦争の特集。
ブログでは 日米。。。原爆の記事。

文字すら教育を 受けていない過激ゲリラの事は
今は 触れないとして。。おく。

そこそこに 教育を受けている先進国の 兵士達。。
敵対する国々の 兵士達。。
国、家族を 守るために 死にたくないのに命を
代償にする。。
あなたの考えは聞き入れられない。。




あなたが かけた命。
あなたが死んで、家族は喜ばない。
お国のため。。ですか。。
。。そうさせられてしまったのですね。
親、兄妹、妻、子供、友達。。あっての集団が 国ではないの。。か。




どっちが勝つか負けるか。。
どっちが、仕掛けたか 仕掛けられたか。。
どっちの国の兵士達も 正義を 掲げて死んだ。
叫んだ。
あるものは 国の為に 万歳を叫んだ。
あるものは お母さーんと 叫んだ。
自分の 命に 叫んだ。



本当は 本当は 本当は。。
死にたくなんて ないんだー!



家族の元に 帰れるなら
一日一口の 食べ物でもいいんだよ。。
それ以上の 贅沢なんて 望まない。
帰りたい。。
逢いたい。。



僕は 帰れたら 働きたい。
あなたを 守りたいから。
生きて帰りたい。。
こんな思いは もうしたくない。。








国とは。。何か。。
利益をむさぼろうとするものは何か。
ひとつの家族を 守れもしない。
守る為に 身を捧げる。。。悪循環。。。

人間に与えられたもの。。

〔知恵〕

動物でさえ 無意味な争いはしない。

争いは 死である。




知恵あるものよ。。





ごめんなさい。

賛否両論あると思います。

尊い命の犠牲の上に 今 私たちは
平和ぼけと言われながら生きています。

父は 悲惨な状態から なんとか必死に
極限で 戻りました。

私の生命は 存在していなかったかもしれないのです。



私は自分の心、思いでいきます。



今回の記事については 皆さんの心に思う事があることでしょう。



私の気持ちですから、賛否を交換したくはありませんので、
コメントは閉じさせていただきます。

ご了承下さい。